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『奇跡のコース』テキスト精読 第1章, 第1節, 段落12−13
執筆者 Christopher Pelham | 1月 26, 2014 | ACIM Textbook Commentary 2014, Chapter 1 | 2 コメント
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今レッスン9「わたしは、今のありのままの姿を見ていません」をやっていたのですが、レッスンをやってみることで、最初はぜんぜん入ってこなかったここでのお話が入ってくるようになりました。
本当にレッスンとテキストは両輪なんですね。
「奇跡が私たちのドラマを断ち切ると、過去と切り離して人を見ることができます。人を過去の影としてみるかわりに再生した存在としてみることができます。再生した人をみている自分もまた、再生した存在です。」
「自分の見方」ではこんなふうにみることができないので、それを認めて降参して「ありのままの姿」を見させてくださいとお願いすることから始まるのかなと感じています。
信じられなくても、理解できなくても、とにかくレッスンをやってみることの力を感じました。ありがとうございます。
「違うレベルの夢が、全く新しいものとして、かつてのドラマとはなんの関係もなく始まる」
前の段落からの続きで読んでいますと、奇跡というのは「本当の自分を思い出すこと」なんだと、つくづく感じます。
私たちはもう何度もそれを「ちらっと」は、経験しているはずです。(「経験したことない!」と思う人は「どれがそれか?」気づいていないだけだと思います。)
なのに、そこに留まるのがまた、難しいんですよね。。。(「難しさ」も自分で作り出している訳ですから、私が勝手にそう思っているだけですから「難しいですね」と言うのは不適切なのですが。)
留まるのが難しく感じられるのは私が「かつてのドラマとは何の関係もない新しい夢」の中に入っていくのを怖がっているからだと思います。
そして怖がっている理由は。。。。。。ないんですよね。あえて言うなら「どんなところかわかんないから」
ただ単に「行ったことの無い国に行くのは怖い。」というのと同じなんだと思います。「旅行ならしてもいいけど、永住は。。。ちょっと待って。。。」という感じ。
「奇跡が私たちのドラマを断ち切ると、過去と切り離して人をみることができる。再生した存在としてみることができる。」
こわがらずにその世界に入っていけるよう、「怖くないんだよ。愛が待ってるだけだからね。」というのを、忘れずにいたいです。
ニューヨークに来るのも怖かったもんなー!