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『奇跡のコース』テキスト精読 第1章, 第1節, 段落1
執筆者 Christopher Pelham | 1月 25, 2014 | ACIM Textbook Commentary 2014, Chapter 1, カテゴリーなし | 11 コメント
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奇跡は全て等しいもの
わかってるようで分かっていない
⤴︎まさに自分だわ
痛いですね
部分部分覚醒してしまっただけに
知ってるつもりで見聞きする自分が多々あり
いろいろなセミナーとか講演とか聞きに行っても
無駄にしてることも多々
ずっと学びたかったこのコースで
知ってるつもりを卒業します
人の意識というのは氷山の一角
ほとんどが無意識
その無意識がジャッジメントしてれば
奇跡体験もジャッジメントしてる
無意識化の意識変化を願ってます
この精読には
奇跡のコースのテキストのおすすめを教えてください
また
精読していくにあたっての仕方〜例えば
1日一個聞くのが良いとか
あるのでしょうか?
テキスト購読を申し込んで初めてのコメントです。今、マリア・フェリーペさんの本を翻訳していますが、私はこれまでずっと加藤さん訳のテキストを読んできたせいもあり、言葉の選択に少々不安を感じています。もっと早く参加すればよかった。
遅きに失した感もありますが、それにも完璧な意味があるのでしょう。ここでの学びも楽しみです。どうぞよろしくお願いします。
香咲さん
ありがとうございます。ぼくの理解で大丈夫だったんですね。
おかげさまで、スッキリしました。
>「仕事が見つからないのに、心はなぜか平静で、今受け取れることを受け取っていくことだけがやるべきこととわかっている」というのも、「大事な人の臨終に立ち会ったが、魂の存在をより鮮明に感じていて、感謝と感動だけに満たされている」というのも、奇跡と言えるのではないかと思います。
これは、どんな外的環境に関わらず、
心はキリストに繋がっていることで、穏やかで平静でいられる心の状態を奇跡と呼んでいるということなんですね。
繰り返しになってしまいますが、
「不思議と仕事が見つかった」ことや、
「奇跡のコースの出版が不思議ととんとん拍子で進んだ」ことといった、
外的な現象も奇跡であり、
ただ、次の段落2番目の奇跡の原理に示されているように、
外的現象としての奇跡、
(仕事が見つかったことや奇跡のコースの出版がうまくいったこと)
それ自体は問題ではなく、
このような奇跡を喚起した、目に見えない存在のほうが重要であるということなんですね。
そして、
「祈り」によって達成されるのは、
この目に見えない存在に繋がることであって、
初詣でお賽銭箱にいくらかのお金を投げ入れて願い事を祈るような、
外的現象としての奇跡が起こることを祈ることは間違っているということなんですね。
簡単にまとめてしまいますと、
外的な現象を喚起する目に見えない存在に繋がり、心が穏やかな状態でいること=奇跡であり、
この奇跡的な心の状態において、
目に見えない存在が喚起する、知覚できる形としての外的現象の奇跡には難易度がない、
全ての奇跡が、目に見えない存在による精一杯の愛の表現であるということなんですね。
ありがとうございます。
tomoyasuさん、
わかりやすく表現してくださってありがとうございます。
みなさん、助けられていると思います。
奇跡のみを経験していきたいですね。
かさき
夢を実現するという言葉に、まだあの人を超えたい、越えるための願望、どうだ君にはできまい、だが私にはできた。と言いたい、という願望があるのを感じています。
しかし、その人とは、私の身近な私のいとこ。その彼女と、これらの痛々しい願望を超えた奇跡で繋がりたいという新たな願望が出てきました。
かといって、初めの願望が無くなるわけではありませんが、そこは、ホーリースピリットに光の中でお願いし続けたいと思います。
新たな気付きを
ありがとうございました*・゜゚・*: .。.:*・゜゚・*
yin.yum.yangさん、嬉しい、美しい、コメントをありがとうございました。どんな形であれ、心に棲み着く「その人」と、あらゆる思いを超えたつながりを求める衝動があるんですね。そして「その人」にもそれはあるはずです。鏡のように。共に、その奇跡衝動を”実現”することをこそ、祈れたらいいですね。
ぼくはまだ、
『奇跡のコース』における、『奇跡』が意味するところがあやふやです。
一般的には、奇跡というのは、
「人生を生きていく中で、それまでに培ってきた常識、経験が覆えされるような、
外的な現象」と考えられているかと思いますが、
JACIMのHPには、奇跡について、以下のように述べられています。
=====
奇跡 [miracle]
罪や罪悪感や恐れから成る自我の世界を見ることから、聖霊の赦しの世界を見ることへと私達の知覚を移行させる心の変化のこと。心に、原因となるという本来の機能を取り戻すことで、投影を逆転させ、私達がもう一度選び直せるようにする。この世界の法則を超越し、神の法を反映する。私達が聖霊またはイエスと繋がり、私達自身の心や他者の心を癒す手段となることにより達成される。
(注 — 外的事象の変化として理解されてきた従来の「奇跡」と混同しないこと。)
=====
でも、奇跡についてのこの説明だけだと、
どうにもこうにも、コースを理解できないような気がしており、
ぼくの理解としては、
奇跡とは、
「全ての物理的現象の原因である心の変化のこと。
そして、原因である心が変化したことの必然的な結果として、
それに伴う、目に見える形での外的な物理現象の変化のこと」と理解しているのですが、
でも、用語の解説の注には、
「外的事象の変化として理解されてきた従来の「奇跡」と混同しないこと」と書いてあるので、
???と混乱しております。
ぼくは、心の変化による、外的な物理的現象の奇跡的変化もコースのいう『奇跡』であり、
心が変化したことで起こる、
「不思議と仕事が見つかった」という奇跡と、
「死んだ人が生き返った」という奇跡の間に、難易度の違いはないというように理解しているのですが、
この理解で正しいのでしょうか?
Tomoyasuさん
—ぼくは、心の変化による、外的な物理的現象の奇跡的変化もコースのいう『奇跡』であり、
心が変化したことで起こる、
「不思議と仕事が見つかった」という奇跡と、
「死んだ人が生き返った」という奇跡の間に、難易度の違いはないというように理解しているのですが、
この理解で正しいのでしょうか?
その通りですね。そして、「仕事が見つからないのに、心はなぜか平静で、今受け取れることを受け取っていくことだけがやるべきこととわかっている」というのも、「大事な人の臨終に立ち会ったが、魂の存在をより鮮明に感じていて、感謝と感動だけに満たされている」というのも、奇跡と言えるのではないかと思います。
ありがとうございます。
かさき
奇跡に難易度がない。
これは、今わたしが意識して取り組んで、
取り入れよとしているもっとも優先度の高い項目です。
ああ、無理だなぁ、これは困難だわ〜
と思った時点で、「奇跡に難易度はありません」を口にします。
これが、投影、これが恐れ、これが自我のブロック、、、、
そして、、、すべてに困難はなく
すべてをホーリースピリットにおまかせできる
わたしは安心感のなかでそれを目撃している
日々のこころの訓練中です
ありがとうございます
高木いおり
「奇跡に難易度がない」
力強い平安をここに導く言葉です
高木いおり
奇跡に難易度がないということを本当に受け入れていたら、何を見ても、何があっても心の平和は乱されなくてすむはず。
「今の自分がそれを受け入れられていなくても、そうなんだ。それが事実なんだ。」と思えるのは、それだけで救われますね。