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『奇跡のコース』テキスト精読 第1章, 第1節, 段落5、パート2
執筆者 Christopher Pelham | 1月 26, 2014 | ACIM Textbook Commentary 2014, Chapter 1, カテゴリーなし | 3 コメント
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「奇跡」
魅力的な言葉。。。
ことばを誤用することなく
愛の目で、愛の中で目撃しているわたしを見つけたいです
あがとうございます
高木いおり
「これが起こると私にとっては奇跡」ということを書きながら、(ほんとうにそれが奇跡?)と自分に聞くと、やっぱりそうじゃないことを、すでに自分は知っているのを感じますね。
そうするとエゴにとっては悲願だった「それが起こると奇跡」が、なんだかとってもちっぽけなものに思えます。
だってそう感じる時、エゴの悲願とは比べ物にならない、遥かに素晴らしいものが、すでに与えられているのを感じますから。「感じられる私」が出現しますから。
なんだけどここでもう一度、エゴが大きな声をあげて私を引き止めようとします。「そっちに行っちゃダメ!あなたは悲願が叶わないと幸せになれない、弱い存在なのよ!」と。
奇跡を受け取ることができるかどうかは、ここで私が「どちらを選ぶか?」ですね。
最初よくわからなくて何度も音声を聞いていたのですが、
ナナさんのコメントのおかげで何かが感じられてきました。
僕も「自我がこれが奇跡だ!」と思ってることを書き出してみて、
「ほんとうにそれが奇跡?」と聞いてみました。
そうですね、そうやって聞いてみると、そんなちっぽけではない自分が感じられてきます。
そしてそこでどちらを選ぶかも、こころの筋肉を鍛えていくということなんですね。
「お前は足りないから〇〇を達成しないと(その「奇跡」を起こさないと)十分じゃないんだ」という声か、そうじゃないほうか。
すぐに目に見える世界の結果のほうだけみてぐるぐるまわってしまう部分もありますが、本当の奇跡とは何なのか?いつも自分のこころに問いかけていたいと思いました。
ありがとうございます。